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8・15九段下から昭和16年の松本竣介へ

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松本竣介「議事堂のある風景」1942年

 

 8月15日の靖国神社周辺、九段下交差点付近の喧騒から一週間近くが経ちましたが、いまだ雑多な言葉が耳の奥にこだましている感じです。

それはスピーカーで増幅された耳汚い怒声や罵声だけでなく、「美しい」「誇り」「感謝」などという透明な重力のない言葉の群れだったり、「海ゆかば」の煽動的ですらあるメロディと詞であったり、 さらには、その後のオリンピックの報道の中で語られる「絶対に負けられない」とか「家族との絆」とか「諦めない強い意志」とか、まあいろいろです。

この夏は、ひときわ言葉の多い、言語過剰の夏だったように思われます。まだ夏は終わってないですけど。

だからなのか。

ふと、ひとむかし前にずいぶんとこだわって、彼の画集などを集めた、静寂の画家松本竣介を思い出したのかもしれません。 

彼の絵に初めて出会ったのは、これも九段下からほど近い、東京国立近代美術館でした。たしか「戦争と絵画」といった特別展だったと思います。15年ほど前か。藤田嗣次の見上げるほど大きな戦争絵画「ノモンハン」に圧倒された展覧会でした。

これほどの表現力と情熱でもってノモンハン戦争を賛美した藤田は、ノモンハン戦争は大敗北を喫したにも関わらず、あたかも日本軍の大勝利といった絵をいくつも描いたのです。絵画だけを見ていると、脳内を高らかに軍歌が鳴り響き、「ロスケなんざ、やっちまえ!」という気分に知らず知らずなってしまう。そんな大パノラマでした。

なのに、その横にこれまた藤田の「アッツ島玉砕」の大絵画が、静かに訴えかけていたように記憶しますが、これは間違いで、他の美術館で観たのを合成して覚えているのかもしれません。この絵は、ノモンハンの大政翼賛絵画とはまるで違い、愚かな人間の業としての戦争と悲惨を、これでもかとキャンパスに刻みつけるような迫力をもっていて、わずか5、6年のあいだに、いったいどういう変化があったのだろうと、考えさせられる作品です。

いずれにしろ、わたしは少々食傷気味で、げんなりしながら他の絵を流し見していたのです。

そして、ある自画像の前で、ハタと立ち止まりました。

それが、松本竣介のものでした。  

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こちらはわりと有名ですね。「立てる像」(1942年)

すでに泥沼の日中戦争から真珠湾攻撃の日米開戦を経て、翌昭和17年の自画像です。 

 この時期の松本竣介の作品は、静寂に包まれています。

これは、例えば松本の友人だった麻生三郎の自画像(1937年)と比較するとよくわかりますね。

というのも、そのときこの絵もすぐとなりに掲げてあって、それはそれで感動したのです。

かっとにらみつけた目と少し開いた唇。全体に赤みを帯びた顔や髪。何をかを言わんとしている若者の内面と葛藤がよく出ています。そのときはたぶん、こちらのほうにより強く魅かれたのかもしれません。

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でも、今はやっぱり松本竣介の静寂さの方に、なんだか安らぎすら覚えます。トシをとったということですかね。

 

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市内風景 1941年

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 ごみ捨て場付近 1942年

 

時代は戦争にどっぷり浸かっていて、世のなかには勇ましい言葉が氾濫している。ちょうど今年の8・15靖国神社、九段下近辺のように。耳の聞こえない松本竣介にさえも、届いてしまう時代の声。喧騒。罵声。怒号。あるいは、「君を守るために死にゆかん」といったような、あまりに「美しい」言葉の群れ。

それらを遮断し、「画家は腹の底までしみ込んだ肉体化した絵しか描けない」といって、ひたすら静寂に包まれた風景画や自画像を描き続けた松本竣介。

彼が、昭和16年の日米開戦直前に、「生きてゐる画家」という文章を雑誌に寄稿したことは有名な話ですね。石川達三の「生きてゐる兵隊」 (1938年)を意識して書かれたもので、松本を「抵抗の画家」と呼ばしめる元となった文章です。

これについては様々な議論があるようですが、ここには書きません。

わたしにはこの「生きてゐる画家」というタイトルですぐさま想起するのは、「生きている英霊」 のことです。ノモンハン戦争で捕虜になり、ソ連領内で生きることを選択した「英霊」たち。彼らのことはほとんど何も明らかにされないまま、今年で77年が経とうとしている。

私家版ですが、山梨の楠裕次さんという方が『私説 あゝノモンハン 生きている「英霊」を想う……』という本を自費出版されています。わたしは偶然この本を古本市場で見つけ、以来「生きている英霊」という言葉に釘づけになってしまいました。

わたしには、松本竣介の静寂さのなかから、言葉が立ち上がってくるように思えてならない。

それは声なき声であって、この「生きている英霊」の声、言葉でもあるわけですね。

 そういう言葉に耳を傾けたい。 

そういう言葉を刻みたい。

静寂のなかで。

と、まあ8月15日から一週間たった今日になって、しみじみと思うわけであります。

ちょっとカッコつけすぎましたかね。。

映画製作にのぞんでの、決意表明でもあるのですが。 

 

 

 

 

 

 


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長野のせんせ

神田暑気払い「八海山」すっと飲めました。
当日ホテルに入る前、靖国にもお参りをと思いましたが、湯島天神と湯島の聖堂、神田明神だけお参りしました。
塩見掲示板で進行中の安国問題しっかり考え続けたいと思います。
映画の完成待たれます。
by 長野のせんせ (2016-08-25 04:15) 

wakaken

はい、なんとか完成させて、山形に行くのが目標です。
うまい酒が飲めますように。
そのときはご一緒しましょう。
安国問題。
わたしも考え続けます。
by wakaken (2016-08-25 11:41) 

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