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文春新書『戦後の貧民』を読んでみた。その2

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塩見鮮一郎著『戦後の貧民』です。

読書会、さんぽ会もあります。

当ブログでご案内。 ⇒ http://shiomi-senichiro.blog.so-net.ne.jp/

アマゾンにレビューなどしてみました。

ここにものっけておきます。

帯に「闇市」「孤児」「赤線」とあるので、漠然とイメージしながら本書をひも解くと、それらが語られる大前提として、序の章「占領 occupied」があった。

そうなのだ。8月15日の敗戦からわずか15日後、30日にマッカーサーは厚木飛行場に降り立った。これから戦勝国アメリカが、この敗戦国日本を占領(occupy)する。主語が我々日本人なら、アメリカ人に占領される(occupied)のだ。

そして9月2日、ミズーリ号艦上で無条件降伏文書の調印式。その場所にマッカーサーはこだわったと、作者塩見鮮一郎は書く。(塩見著『江戸から見た原発事故』に詳しく書かれている)

つまり百年前のペリーの艦隊が東京湾の奥深くに侵入し、ズドンと大砲を打って恫喝したあの砲艦外交に倣ったというのだ。以後、占領軍は去っても、その状態は変わらない。そして沖縄に占領軍は居続け、今にいたる。

沖縄の人にとってそれは常に「現実」だが、沖縄以外の「日本」にいると、そのことを忘れがちになる。

本書は「闇市」「パンパン」「赤線」「戦災孤児」など、主に被占領時代(アメリカに占領され主権を奪われていた時代)の庶民の苦しい生活、最底辺の生活を描写していくが、その背景にいつも占領軍がある。それが想像しづらいなら、現在の沖縄の「現実」を知れば容易になるだろう。P98に(戦後の日本で)「すさまじい数の暴行強姦があったのだ」と書かれるが、その真っ只中で生きなければならない。考えただけで身の毛がよだつ。

本書には、二つの歌謡曲が紹介されている。
菊池章子「星の流れに(こんな女に誰がした)」と「ネリカン(練馬鑑別所)ブルース」だ。
前者は戦争未亡人、後者は戦災孤児と関連する。両方ともYouTubeで聴けるので、ぜひ聴きながら読んでほしい。

P109に「歌謡曲が寄るべない最下層の女を主人公にし、その感情によりそい、あたたかく鼓舞した時代もあったのだ」と書かれるが、まったくもってその通りだ。隔世の観がある。ノスタルジーに溺れる必要はないが、こういう時代があったということを、若い人が知らないのなら、本書を読むことで少しでも知ってほしい。

作者がこの二曲を選んだのが、なんとなく分かる気になってくるのは、第二章、三章で、作者の父親がノモンハンで戦死したこと、つまり母親が戦争未亡人だったこと。自分自身が戦災孤児に近い境遇で育ったこと。などが、詳しく書かれてあるからだ。

だからこそ本書の最後の最後の一文、「どれほど無念であったことか」に、万感の思いが込められていて、読者の胸を打つ。

本書で貧民シリーズの完結編となったようだ。

明治を描いた『貧民の帝都』、そしてタイトルそのまま『中世の貧民』『江戸の貧民』と、時代ごとにそれぞれ違った書き方をしていてどれも面白いのだが、本書『戦後の貧民』は、現存する多くの人が経験した時代であるだけに、また作者の実体験が盛り込まれているだけに、言葉に力がこめられている。怒りといってもいい。あまりそういうことを好まない作者のようなので、声を小さくして、付け足しておきたい。


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