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塩見鮮一郎『戦後の貧民』を読んでみた。

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 文春新書新刊『戦後の貧民』です。

戦後っぽい、昭和な自宅の押し入れ前で撮ってみました。

中身を少し紹介すると、

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第一章「大移動のはじまり」

第二章「米兵慰安婦と売春」

第三章「さまざまな傷痕」

この三つの章でぎっしりと、敗戦後数年でおきた「史上最悪の日々」(まえがき)が語られます。

しかも、そのすべてに「占領」という背景があった。そのことは、序の章「占領」で詳しく書かれます。

この本を読んで、突然思い起こした風景、人物があります。

浜のメリーさん.jpg 

 横浜のメリーさん。

知っている人も多いんじゃないかな。『ヨコハマメリー』というドキュメンタリー映画にもなりました。

以下は、映画のHPから。

『歌舞伎役者のように顔を白く塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆が、 ひっそりと横浜の街角に立っていた。本名も年齢すらも明かさず、戦後50年間、 娼婦として生き方を貫いたひとりの女。かつて絶世の美人娼婦として名を馳せた、 その気品ある立ち振る舞いは、いつしか横浜の街の風景の一部ともなっていた。 “ハマのメリーさん”人々は彼女をそう読んだ。』

実在したこの女性は、95年の冬、突然横浜の街から姿を消すのですが、その後の行方は映画に詳しく出て来ます。

わたしは、94年から95年、何度もこのメリーさんを見かけました。横浜駅の西口広場でした。戦後50年の横浜時代、最晩年のメリーさんということになります。映画では、その後、故郷へ帰っていったとのことでした。

いっけん、ホームレスふうに見えるメリーさんですが、身なりや立ち振る舞いがどこか違う。「なんなんだろう、この人は」と、何度も立ち止まって、彼女を見つめていた記憶があります。

今の横浜駅西口はさらにまた開発されてしまいましたが、その前の西口、メリーさんがいた西口の風景も「戦後」を一掃した小ぎれいで清潔な街でした。

そう、メリーさんひとり、「戦後」あるいは「敗戦」、もっといえば米軍米国による「占領」を、全身で表現していたのかもしれません。

そんなことをふと、思い出したのも、『戦後の貧民』の第二章、「米兵慰安婦と売春」を読んだから。

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これは、溝口健二の映画『夜の女たち』です。

戦後、メリーさんをはじめ、このような女性がたくさんたくさん、街頭に立って春をひさいだ。

鬻(ひさ)ぐ。言うまでもなく、「売る」ということです。春を売る=売春。

本書の108頁に出て来ますが、こんな歌謡曲が巷に流れていた時代がありました。

菊池章子が歌った「星の流れに」。

https://www.youtube.com/watch?v=Xa0Jl71N7ag

「こんな、女に、誰がした~」で有名な歌ですね。

本来のタイトルはそのまんま「こんな女に誰がした」だったのが、GHQがクレームをつけてきて変更せざるを得なかった。でも、タイトルがソフトに変わっても、歌のインパクトは変わりません。

塩見鮮一郎も次のように書いています。

『歌謡曲が寄るべない最下層の女を主人公にし、その感情によりそい、あたたかく鼓舞した時代もあったのだ』(109頁)

あゝ、その通りですね。そんな時代もあったのです。

歌詞を紹介しておきましょう。

   星の流れに 身を占って
  何処をねぐらの 今日の宿
  荒(すさ)む心で いるのじゃないが
  泣けて涙も 涸れ果てた
  こんな女に誰がした

  煙草ふかして 口笛吹いて
  当もない夜の さすらいに
  人は見返る わが身は細る
  街の灯影の 侘びしさよ
  こんな女に誰がした

  飢えて今頃 妹はどこに
  一目逢いたい お母さん
  唇紅(ルージュ)哀しや 唇かめば
  闇の夜風も 泣いて吹く
  こんな女に誰がした

『戦後の貧民』第二章だけで、こんなに感想があふれてしまいました。

ほんとうに、たくさんのことが書かれています。

闇市や戦災孤児のことも書かれています。

塩見氏自身もノモンハンで父親が戦死し、母子ともども困窮した戦後の時代を振り返っています。

読んでいて、ドキリとするのは、例えば以下のような記述。

『やせほそり、背も低く、精神もぐちゃぐちゃにされた世代、わたしは「身体に戦争を刻印されて生きて行く世代」であった』(160頁)

そして、第三章の最後、以下のような言葉が書かれます。

『タケノコ生活という言葉があるように、剥がされるものはすべて剥がされた。その数年を、わが母をふくめて、だれもがおのれひとりの思想にすがって日々を律し、身を粉にして働いた。日本史上もっともすさまじい貧困のなかを、どうにかくぐりぬけたのは奇跡としかいえない。あれから七十年、老いたわたしはいま、それらの日々を「聖」なるものとしてすなおに「祝」したい。災禍をまねいた支配層への怒りの言葉は自重して、それよりも、戦傷や伝染病や餓えに抗しきれなかった老若男女に合掌してペンをおきたい。どれほど無念であったことか。』(203頁)

これは決して誇張ではなく、わたしは一読し、身体も精神もしばし硬直し、動けませんでした。わたしたちは、このような戦後の歴史の延長線上に立っている。それを忘れないためにも、本書を読むことはたいへん有意義であったと思います。安保法案云々を考えるためにも、本書は必要不可欠になるでしょう。

 この三章の末尾は、おそらく「まえがき」の次のような言葉に呼応しています。

『恋人をさしだし、子を兵士にした戦さが、正義のかけらもなかったことだ。無意味な死を理解するのが、どれほど個体にとっておそろしいことか、どうか想像してみてください。』(5頁)

無意味な死。悲惨な戦後の生活。それはほんとうに恐ろしいこと。しかし、そこから逃れるすべはなかった。向き合うほか、なかった。だから、「星の流れに」のような歌が、巷に響きわたる。

いまはどうでしょう。

ひとりがんばっていたメリーさんもいなくなり、敗戦の名残りはすべて消し去った。

すると、無意味を意味に変え、正義を捏造する人々が出てくるのはなぜなのでしょうね。

今でも、「占領」は続いているかもしれないのに。


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コメント 5

柴田晴廣

 ご無沙汰しています。
 本文と関係なく、宣伝のようになって恐縮ですが、以前話した弾左衛門についての論考、出版しました。
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/atabis/newpage5.html
 拾遺5の補遺です。
by 柴田晴廣 (2015-09-20 11:42) 

1001

こっちもあるよ。
https://www.youtube.com/watch?v=n2zA0cxabc0
by 1001 (2015-09-21 06:16) 

wakaken

こちらは昭和50年頃の歌謡番組でしょうか。
菊池章子さん、元気に歌ってますね、いいですね。
彼女には『岸壁の母』という歌もありますね。
『戦後の貧民』129頁、「夕暮れ時など、門前をじっと見つめて待っている」母上様の心情に重なる歌です。


by wakaken (2015-09-21 10:30) 

岡坊

藤圭子の歌も聴きました。
あのころの歌謡曲は詞にも歌手の声にも影がありますね。
こんな世に誰がした。
怨みが聴こえます。
by 岡坊 (2015-09-29 07:08) 

wakaken

そうなんですよ、岡さん。
影があって、昏くて、恨み節なんですが、心ふるわせます。
藤圭子の「身から出ましたサビゆえに~」なんて、泣けますね。
by wakaken (2015-09-29 09:46) 

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