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もう一度『江戸から見た原発事故』、塩見鮮一郎の本

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塩見鮮一郎著『江戸から見た原発事故』現代書館、2014年1月 

昨年1月に出たこの本を、もう一度読み返しています。

というのも、最近、平川克美著『小商いのすすめ』を読んでいて、以下の一文でふと活字を追う目が止まってしまったのです。

「この震災以前と以後では、わたしがものを書いたり考えたりする立ち位置が変わってしまった」

こういうフレーズを、当時何度も目にしました。わたし自身も使ったと思います。

平川氏にも、先の本の原稿を書いていた途中に、3・11が来た。凄い衝撃だったと書いています。

直接被害に逢われた方々は違うかもしれませんが、平川氏も我々も、特に福島原発事故に強いショックを受けた。そして、中途の原稿を書き換えざるを得なくなったそうです。

そう。そうなのでした。「この震災以前と以後で、〇〇が、変わってしまった」のです。

物書きの平川氏の場合は、「わたしがものを書いたり考えたりする立ち位置」が変わった。

わたしの友人の女性は、3・11の半年後に出産したのですが、あれ以来ずっと、子どもに食べさせる食品はなるべく関西以西のものを使っていると言います。 過剰だ、エゴだ、という意見もあるでしょうが、子どもを守るという使命感が、一貫して原発事故後の思考と行動パターンを維持させているのでしょう。

明日で、あれから4年半になります。

わずか4年半。もう4年半。たった4年と半年。

なんとでも言えますが、もしかすると、わたし自身もふくめて世の中全体が「この震災以前と以後で、○○が、変わってしまった」ハズのものが、すっかり元に戻ってしまったのではないでしょうか。

安保法案だ沖縄辺野古問題だ、やれ憲法改正、それ秘密保護法、オリンピック関連諸問題などなど、なんとも世の中はめまぐるしく動いていて、声高に反対したり、テキの思考や志向を分析したり、昭和史を読み返したり、忙しくアタマは巡っているはずなのに、いつの間にか、です。いつの間にか、元に戻ってしまった。

それに、これもわたし自身がそうなのですが、ものごとの上っ面だけを見て、考えたり分析したりする傾向がどんどん強くなっている気がして、愕然としたのでした。

上記に挙げた諸問題は、軍事力に支えられた国力を増強し、さらなる経済の発展をめざす。という明治維新以降の思考と行動パターンを、またも繰り返そうという勢力が、あれでもかこれでもかと、くり出してくるものです。

それらに対抗しているうちに、なぜかこっちまでが、テキの思考と行動パターンを模倣してしまっている。

まずいぞ。。

でも、こういうことって、ママあること、なのかもしれませんね。

ライバルに対抗しているうちに、だんだん相手に似てくる、とか。

でも、それではイケナイ。

平川克美は、手の届く実質経済から、今のグローバルな経済状況を批判して乗り越えようと模索しています。

例えばこんな本も興味深かった。『消費をやめる』

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平川氏の本は刺激になるのですが、いちおう文学畑を歩いてきたわたしとしては、もう一度『江戸から見た原発事故』を読み返して、「コトバ」という観点から、この「震災以前と以後で、〇〇が、変わってしまった」問題を考え直してみたいのです。

それは、「明治維新以前と以後で、〇〇が、変わってしまった」問題、でもあるのですね。

〇〇に入るのは、ひとまず「コトバ」になるのでしょう。

言葉が変われば、思考も志向も、変わる。行動も変わる。

では、変わる前の我々のコトバとは?

 『江戸から見た原発事故』を読みながら、じっくり考えます。

続く


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