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船戸与一『満州国演義』を読む その3

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長州藩士吉田松陰の予言通り、大日本帝国は植民地を併合し、欧米列強に対抗しようとしました。
薩長閥で固められた政府と陸軍勢力を中心として。
このことに接続して、面白い視点で薩長閥とその次に台頭してくる勢力について語っている人がいました。
それが上記の対談本。
発言者は内田樹。こんなふうに語っています。

《1922年に山縣有朋が死に、田中義一が29年に死んで、戊辰戦争以来陸軍を支配していた長州閥が終わります。それまで陸軍は長州出身者のための特権的なキャリアパスがあったわけですが、それがなくなる。すると、その空隙を狙ってそれまで冷や飯を食わされてきた軍人たちが一気に陸軍上層部にのしあがってくる。これがほとんど「旧賊軍」の藩から出てきた人たちなんです。》

「旧賊軍」とは、薩長の新政府勢力に抵抗した奥羽越列藩同盟のことですね。
その出身者、東条英機は岩手、石原莞爾は庄内、板垣征四郎は岩手と、満州国、日中戦争、太平洋戦争に深く関わった軍人には、確かに多い。
内田樹は、先の引用の次の箇所で、こんなふうに語ります。

《だから、あの戦争があそこまで暴走したのは、「賊軍のルサンチマン」が少なからず関与していたのではないかと僕は思っています。結果的にこの人たちが戊辰戦争から75年かけて薩長勢力を中心にして築き上げてきた近代日本のシステムを全部壊すことになった。大日本帝国に対する無意識的な憎しみがないと、なかなかあそこまではいかないのではないか。》

船戸与一『満州国演義』の第1巻、冒頭わずか3頁に描かれた場面。薙刀をふるう会津藩士の妻と、それを力づくで犯す長州藩士を思い出してください。
実は、作者がしかけた謎は、第9巻ですべて明かされます。後から振り返れば、その前にもチラホラと匂わせてはいたのですが。

ミステリー大賞を受賞したぐらいですから、この小説はミステリーなんでしょう。
私はそういうふうには読みませんでしたが、冒頭の謎かけに引っ張られて最後まで読み切ったことは確かです。だから、それをここで暴露することはしません。ご安心を。


満州国.jpg


でも、ほんの少しだけ明かすと、冒頭の場面で、犯す長州藩士と犯される会津藩士の妻という構図がありましたが、その両者の子孫が、それぞれ満州の大地で活躍、暗躍する物語ではあるのです。それぞれの命運を、満州国と共にして。その結末は推して知るべしですが、長い長い物語を追いかけて昭和20年まで来ると、ひとりひとりの登場人物の死が(やはり死んでいくわけですが)、まるでよく知っている家族、愛憎相半ばする血族でもあるかのように思われてきます。

今朝の東京新聞(5月10日)に、長野県にある満豪開拓平和記念館の専務理事、寺沢秀文さんのインタビュー記事が載っていました。その中で寺沢さんは、「加害者としての歴史も語らなければならない」と、当然のことをおっしゃっていました。今のこの国では、こういった発言が、反日というレッテル、バッシングを受けてしまいます。
この寺沢さんの家族も満豪開拓団に加わったのですが、同じように開拓に参加したある老齢の女性の言葉を紹介していました。
東京新聞のインタビュー記事から紹介します。

《開拓団は、国のかけ声に乗って、食糧増産の名目の下、国防のための「人間の盾」にされて乗り込んでいったわけです。参加したある年配の女性が言った言葉が忘れられません。「人さまの土地で、自分たちだけが幸せになろうとしたのが間違い。狭くても、分け合い、協力しあって自分たちの手の中で幸せを探すべきだった」と。》

ああ、まさにその通り。
この太字部分、年配の女性の言葉は、松陰先生が指し示した新生近代日本の誤りを、分かりやすい言葉で正鵠を得た、深くて重い言葉です。

満州国。それは松陰先生の見た夢。そこに薩長閥の弟子たちがむらがり、さらに、より複雑な心理と共に奥羽越列藩同盟の怨みがからみついた。そこに、ずっとずっと貧しかった農民の欲望が吸い寄せられる。何重にもかさなった幻想の帝国。崩壊の予感を最初から孕んだ砂上の楼閣。

今のこのクニもまた、幾重にもかさなった妄想の上に、さらに妄想を重ねているとすれば、同じ運命をまた、たどることになるのでしょうか。



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